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第6回 2006/05/02
芸術学部 造形学科 工芸分野
教授 芦原祚子
受験時代をふりかえって
「器用貧乏」という言葉があります。不器用で決して上手くないのに味のあるデッサンと、上手く描けていても描き手が見えてこないデッサンとがあるように、デッサンが上手でも作品が必ず心に響くとは限らないのです。 昔も、はるか彼方の旧い時代ではありますが、皆さんと同じく美大を目指していた頃、私はどちらかというと上の言葉に当てはまっていたような気がします。私の目標の「染織」は鉛筆デッサンが受験科目ですが、研究所では木炭で石膏を描きコンクールにもパスし、人体デッサンまで勉強したのです。なんとか鉛筆デッサンもこなして憧れの大学に入学したわけですが、私はそれからハタと難問にぶつかることになりました。
デッサンは対象物を正確に把握し、形、色、存在感、素材感まで描くことにより対象の奥まで視抜く力を得るものです。 しかし、そこから先はデッサンを通じて自分自身と対峙し、感性を増殖させ、自分自身の線であり、形であり、色であり、表現であらねばならないのです。私は対象物を描くという行為のみに終始し、目標を見失い、何をどう表現したいのか?、表現する為にはどうしたらいいのか?という問題を自分なりに解決するのに、その後かなりの時間を必要としました。これは「工芸」という制約のきつい世界に突如でくわし、とまどった特殊事情もあったのでしょうが。
つまり、どんな表現領域に於いても、デッサンは次の展開と密接に繋がっていて、いわゆる自己表現に至るためのツールであり、表現力を養う基礎としては必須のトレーニングではあるけれど、苦手な人、上手な人との間には区別や差が無いことを申したかったのです。大切なのは向き合う気持ちで、描き手の思いがどこまで真剣にぶつかり、感動しているかということです。芸術の世界をめざす人、誰もが通過しなければならないデッサンという道の、通過の方法にこそ意味があり、次に来る扉を開ける力となる筈です。
現在の作品投稿インターバル
- 入門コース 3日間 (本日投稿の場合、次回投稿2012月02月13日より可能です。)
- 実践コース 3日間 (本日投稿の場合、次回投稿2012月02月13日より可能です。)
- 展開コース 5日間 (本日投稿の場合、次回投稿2012月02月15日より可能です。)












